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【舞台レポ】勅使川原三郎「月に吠える」

August 26, 2017

 

荻原朔太郎の「月に吠える」は前夜と行く途中の電車の中で生まれて初めて読んだ。日本語の詩は恥ずかしながら、偶然出会った谷川俊太郎以外読んだことがなかった。

「悲しい」じゃなくて、「同情」じゃなくて、一番「哀れ」という使ったことのない言葉が合っていると思った。この人の見る世界は妙に生々しくて、厳しくて気持ちが悪いなと正直思った。何より気味が悪いという印象だった。彼はきっと寂しくてやり場のない愛のある人だったんだろうなあとも考えた。読みながら、横に座って蛙を猫をそんな目で見るなって背中をさすってあげたい感じ。

 

アーティストというものは普通の人が通り過ぎていく日常に何か非日常的なものを見つけてそれを自分の表現媒体に通訳/翻訳/表現するものだと自身は信じている。それでいて、詩人は特に人間が一番使う最もストレートな「言葉」がそれな訳だからもっと注意深い人種というふうな印象がある。だから気難し屋や変わり者が多い。人と普通(またこの「普通」とは何かというところがあるが)に接したり愛したりの裏がいつでも考えられていてやりにくいだろう。いわゆる「コミ障」?)

彼もこれだけ世の中の哀しいところに気づきたくなくても気づいてしまって、きっと自分なりに大変な人生だっただろう。

 

でも。それでも。

それでも、彼は吠えている。誰でもない月に向かって独り吠えてる。誰も聞いてないかもしれないのに。そこはまた日本人らしくて切ない。

彼の読む世界は本当に身体的で必死でこれだけ正直にストレートに人生模索しているから、どこか共感するところがある。逆に突然自分が思っていたことと感じていたことをその通りに明確に透き通って見られたから気味が悪いという印象になったのかもしれない。ゾクゾクから喉に石があるみたいな泣く前の痛みがくる感じだ。初めて会った人が、全く同じ夕飯と朝ご飯食べてきたみたいな。気味が悪くてでも深入りしちゃってずっと考え込む。

 

そんな色々が脳内に飛び交う中、勅使川原三郎の「月に吠える」を観に行ってきた。プログラムに「空気に、天と地と水に、遊ぶ。数え切れない電流体、時のかけらのような踊る者たちは激しくゆるやかに生きる。」と書いてある。本当に、自然大地そのままだった。

今回は、おなじみの勅使川原三郎、佐東利穂子、鰐川枝里、イタリア人ウィーン国立歌劇場バレエ学校卒業、ネザーランド・ダンス・シアター出身のマリア・キアラ・メツァトリ、フランス人で今スウェーデンのイエテボリ・オペラ・ダンス・カンパニーで活躍中のパスカル・マーティが来ていた。

 

一言でまとめると、吠えながら習字を書いているような(絶対違う、ごめんなさい。)荻原だと思われる勅使川原と、厳しくでも綺麗な月と色とりどりの壊れちゃった「物」の人たちだった。

 

動きながら所々静止するムーブメントをする3人は周りの時間を少しずつ止めながら壊れてしまっていた。色とりどりの衣装の存在たち、それは荻原が話していた「人」についてだった。彼は分析するため、人をObject/物としてみていると私は解釈していた。セクシュアルとかそういうんじゃなくて、もっと根本的で原始的な物。”Objectified beings”

特にダンサーたちが一人ずつ肩から宙にかかっていて舞台上をゆっくり横切っていくところは特に肉屋の奥の方にかかっている、ポークの肉が連想された。特にパスカル・マーティの膝と体の隅々まで届き行く意識はすごかった。3人をもっと見たかった。もっと壊れて欲しかった、それと壊れてどうなってしまうのか見たかった。

 

素晴らしかったのは照明。ネオンライトのような自由の動かせられる長いロープ状のライトをL字に垂らせておいてそれが床を引っ張られていったり1箇所にまとめて置いてあったりとても新鮮な「電流体」。月を意識していてもスポットライトばかりじゃなかったところもよかった。青いけど、ホワイトバランスを強く使ってたり、黄色かったり。面白かった。

 

佐東の月は寂しかった。銀色で冷たくて孤立しながらずっと動いている。観ていて確かにそういえば、月も太陽も地球もずっと動いてるなって不思議に思い出した。星って考えると、なんか止まっているイメージだけれども、実はずっと移動しながら回っている忙しい存在なのだ。当たり前だけど。彼女の後ろにはいつでも荻原がいる。いつでも見ている、吠えようとしているけど吠えない。言わない。なぜとはずっと思っていたけど、時々確かに書いているのがわかる。

 

最初半分は荻原の詩のナレーションと詩の中に出てくるトピックが説明されているのがわかる。でも途中でわからなくなった。勅使川原と佐東が踊る中、まさに模索。音楽はいろんなものをミックス、リミックスしていて、わからなくなっていく。オペラ、ピアノ、オルガン、現代音。でもカオスではない。カオスに見せかけた, 組織化された混乱。どこに何があるかわかっていながらでも片付かない散らかった部屋みたいな。個人的にはそれは大好きだ。特定なルールがあるけどその中でも自由で落ち着く。でもそれが2週間ぐらい続くとダメだなと思うのと同じで長さの調整は大切だと思う。

 

最後半分は荻原の体験を目撃しているようだった。そして最後に勅使川原が背を向けて書いていくところは納得がいった。荻原はそれを感じて、経験して、書いていったのだなと。面白かった。

 

最後に抜粋したくてもう一度読んでみたら、涙が出た。彼がもし今の世の中を見たらどう思うだろうか。恥だと失望するか。1917年と今、進歩をしたのか退歩をしたのか変わっていないのか。人は変わらないのか。変わってほしい。というよりも、人はいい生き物だともっと頻繁に思いたい。

 

『おれは人間を愛する。けれどもおれは人間を恐れる。

おれはときどき全ての人々から離れて孤独になる。そしておれの心は、すべての人々を愛することによって涙ぐましくなる。」—雲雀の巣

 

(E.L.)

(2017年8月25日:東京芸術劇場)

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